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【非行 カウンセリング】ターニングポイント

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こんにちは。

 

昨日の8月16日は私の父の命日でした。

 

22年前にこの事故がなければ、私が今こうしてあなたにブログを書くこともなかったです。

 

私にとって人生最大の天国から地獄への急転直下の日、出来事や出会いは宿命のような気がします。

 

今日は私のFacebookの投稿をシェアします。

 

〜以下記事〜

【22年前の今日がなかったら】
おはようございます!
朝イチで母とお墓参りに行ってきました!
毎年8月16日は私にとって重要な日。
父親が亡くなった日なのですが、22年前のこの日から幸か不幸か私の人生は激動なものになりました。
何気ない母親の地元である長崎県での夏休み。
私の家族4人と母親の友達の家族4人、その友達の親戚の家族4人。
3家族の家族構成も年齢も一緒というこの時点でなんか運命を感じますが。
3家族で仲良く海水浴へ行って夕方まで楽しんで、いつもの様に爆睡して帰るはずの僅か数時間の間に天国と地獄を味わうことになるとは、22年前のこの時間には夢にも思っていませんでした。
100メートル沖に流された子ども2人を助けに行って、岸に戻る途中で力尽きたのですがたまたまサーファーの方が来てくれて引き揚げてくれたので、もしサーファーの方がいなかったら、もしかしたら父の遺体は戻らなかった可能性もあるので、身体が戻ってきてくれただけでも良かったと今では思っています。
心臓マッサージをしてもパンパンに海水を含んだお腹や岩の貝などに打ち付けられて体の至る所にえぐられたような傷をみて、11歳の子どもながら「ダメかもしれない」と感じました。
その後、警察官、救急隊と来てくれて、救急車の中でもずっと心臓マッサージをしてくださり、病院の処置室でも結構長い間、出来る限りの手を施してくださったのですがダメでした。
休日ということもあり、廊下のソファーに座りながら、心停止の音と母親の泣き叫ぶ声を聞いて耳を塞いでいた記憶は今でも鮮明に覚えています。
最愛の夫を突然失った母親が一番辛かったと当時から感じていました。
事故が丁度12時過ぎにおき、その日の夜には山梨から祖父母と父の妹の叔母夫婦が到着して、じいちゃんとばあちゃんの前でずっと泣いていました。
翌日にはさらに父の友達や同級生で家族ぐるみでの付き合いのあった方々がわざわざ来てくれて、電光石火のようでもあり、長い3日間くらいでした。
父は飛行機が苦手だったので、この時も山梨から車で長崎へ来ていたので、叔父が運転してくれて骨壺に入った父と帰りました。
自宅へ着くと同級生のお母さんたちが総出で準備をしてくださっていて、本当に有り難くて、でもすごく辛くて、今の自分から見てもかなり酷な状況だったと思います。
長崎と山梨、それぞれで通夜と葬儀を行い、山梨でもたくさんの方々がお別れに来てくださり、お焼香代も6台用意しないと時間内に終われないとのことで、葬儀場の方からも「一般の方でここまで参列されたのは初めてです」と話していたので、父親の人望の凄さを感じました。
そこから経営していた会社をたたみ、幸い会社の借金は保険で返せましたが、ただでさえメンタルがボロボロの母は女手ひとつで私と兄を養うためにパートを始めてくれて、そこから私は料理をやり始めました。
兄は兄で、事故当時父親を助けに行こうとしたものの波の高さや他の大人に止められたこともあり、父のことでは話したことはありませんが、私以上に悔しかったと思います。
当の私は、以前何度か書きましたが、あの事故が起きる直前に父親と喧嘩と言うか、私が一方的にブチ切れて事故現場と離れた場所で遊んでいたので、私が現場についた時にはすでに引き上げられた後でした。
喧嘩別れも後悔しましたが、この時を境に私たち家族の歯車は狂ったんですけど、紆余曲折しながらもなんとか乗り越えての今があると感じます。
また、この時が私の合理的思考の原点かもしれないですね。
「良いことをすれば良いことが起きる」
「悪い人に天罰が下る」
「一生懸命な人は報われる」
「人に優しくできる人は長生きする」
などの根拠のない綺麗事を心底嫌い始めたので!
なので
  宿命
  たまたま
という言葉が一番しっくりと、この頃からきています。
今は当時ほどひねくれてはいないですけどね笑
そんな感じで、22年前の今日、これから起きることがなかったら
・私が警察官になることもなかった
・今の非行・ひきこもりカウンセラーにもなっていなかった
・今の母親との関係も築けなかった
・時間を大切に思うこともなかった
・合理的に考える思考もここまで育たなかった
・対等な相手も尊重する考え方にはなっていなかった
そして
  今周りにいる大切な人たち
  これまでに出会ったクライアントのご家族
  講演で出会った生徒たち
との出会いもなかったわけです。
父親の会社を継ぐき満々でしたからね。
過去はどれだけ科学が発展しても戻すこと、やり直すことはできない、もうこれはどうにもならないんです。
だから、過去の捉え方を変えて、自分の糧にして成長して生きていくことが旅だった人に対しての敬意だと私は思っています。
自分がいなくなったことで、大切な人が前向きに生きれなくなったり、新しい一歩を踏み出せないのは、私がその立場だったら本当に嫌です。
死にたくて死んだわけではないですしね。
もちろん前を向くまでにはある程度の時間は必要なんですけどね。
でも過去をネガティブに捉え続けても良いことはないと、経験したからこそ私は思っているのと、周りの人の大切な時間(命)も奪うことになります。
で、「親父の分まで生きる」っていう考えも上記の大切なことに気付いてからはやめました。
だって、下手したら
  自分らしく生きれなくなる
リスクも高いことでもあるので。
もし私が今でもずっと『親父の分まで生きるんだ』って勝手に背負って生きていたら、自分のやりたいことに蓋をして警察官も辞めていなかった・・・厳密には辞めることができなかったと思います。
もちろんこの解釈を『自分の人生を生きれる糧にする為に相手の分まで生きる』という考えに持っていければ良いのですが、当時の私にその考えはなかったので、きっと父親のなりきって考えられず、自分の主観で勝手な人生を生きていたと思います。
なので、この8月16日は私の人生にとって重要な日なんです。
丁度お盆の最後の日ですしね。
そばに感じれる気がします。
もちろん4人の爺ちゃん婆ちゃんと親友もいつも以上に身近に感じられるような気がします。
一緒に入れた期間は短かったですが、この人が父親で本当に幸せだと感じている朝です!
あなたの身近にいる大切な人との時間・・・大切にしていますか?
喧嘩してそのままになっていたりしませんか?
お互いが確実に生きている現在(いま)、後悔しないであろう選択を是非してください。

 

〜以上記事終わり〜

 

 

それではまた。

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プロフィール


はじめまして。
元警察官で現在は成人非行更生を
専門としたカウンセラーをしている
内藤佑と申します。

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